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更新日:2014年2月1日

絵本 サダコのおり鶴

開成山公園(開成二丁目公園)内に、ニューヨークの方向を向いた折り鶴が立っています。

これは、2001年のアメリカ同時多発テロで被害者や遺族の皆さんからなる「9.11家族会」などから、東日本大震災により被災した本市への復興祈願のため、2012年に寄贈されたモニュメントです。同時多発テロで被害にあった世界貿易センタービルの鉄骨で制作されました。

モニュメントの元となった折り鶴は、広島で原爆により被ばくした佐々木禎子さんが、平和を願って折ったもので、世界貿易センター跡地の向かいにあるトリビュートセンターに展示されています。

このモニュメント寄贈に至る経緯が絵本にまとめられ、郡山西ロータリークラブから市内の保育所、幼稚園、小学校などに寄附されました。

この絵本を通じて、ふるさと郡山の復興、世界の平和を改めて考えてみませんか。

2012年10月25日設置予定場所で地鎮祭

2012年10月25日
設置予定場所で地鎮祭

2012年12月23日モニュメントが設置される

2012年12月23日
モニュメントが設置される

2013年7月日 絵本の寄贈を受ける

2013年7月25日
絵本の寄贈を受ける

2013年8月3日9.11家族会が来郡

2013年8月3日
9.11家族会が来郡

ダウンロード サダコのおり鶴(PDF:5,482KB)

表紙、裏表紙

絵本 サダコのおり鶴(作・絵 ERICCO)

P2.3

ここはアメリカ、世界貿易センタービルがあった向かいにあるトリビュートセンター(tribute center)記念館です。ここに日本人サダコから送られた小さな折り鶴が飾られています。

”どうか、あなたの命を大切にしてください。どうか、私の分も生きて、これからたくさんのことを経験してください。私はこの小さな折り鶴があなたに届くように、心から気持ちを込めました。この小さな折り鶴は他の人の痛みや悲しみもまるで自分のことのように感じて、あなたと一緒に乗り越えてくれると信じています。
1955年、ササキサダコ”

P4.5

2001年9月11日、前代未聞の事件がおこりました。

アメリカ同時多発テロです。

飛行機に乗っていた人たち、ビルで働いていた人たち、そして救助にあたった警官や消防士も、たくさんの命が犠牲になりました。

この信じられない出来事に人々は衝撃を受けました。

P6.7

ビルが崩壊した後の光景は本当におそろしいものでした。

まだガレキの下に埋まっている人たちを助けるため、すぐにいろんな国から自衛隊や救助犬がかけつけました。

世界中の人々が一日も早くニューヨークが前のような生活に戻れるように、心から願いました。

日本からも11人の消防士がボランティアで加わりました。

P8.9

サダコの鶴はそのときに街の人を助けるため日本から海を渡ってやってきたのです。

アメリカ国民だけじゃありません。

ビルがあった跡地には世界中からたくさんの手紙や祈りが山ほど届いていました。

みんなの願いは同じです。

どうか、平和な世界になってほしい。

P10.1

サダコの鶴は他の亡くなった人たちの写真や遺品たちと一緒にトリビュートセンターという記念館に飾られることになりました。

サダコはここを訪れる世界中の人たちを励ましたり、二度とこんな悲劇が起こらないように平和を訴え続けました。

P12.13

ニューヨークの街は、みんなが手を取り合い、一緒に前を向いて頑張ったおかげでまた少しずつ回復していきました。

サダコも他の亡くなった人たちと一緒にニューヨークの街を元気に見守っていました。

P14.15

2011年3月11日、今度は日本で東日本大震災がありました。

遠く離れた日本からの深い悲しみは、海を越え、サダコの場所にも痛いほど届いていました。

サダコはすっかり元気をなくし、毎晩トリビュートセンターが閉まるとふるさとの日本のことを思い出してはシクシク泣いていました。

P16.17

そんなとき誰かがサダコに言ったのです。

「一緒に日本へ行こう!君がここに来てくれたように今度はみんなが日本を応援しに行こうよ!」

「私も行くわ!」「僕も一緒に行こう!」

まわりの遺品たちが次々に声を上げました。

サダコはびっくりしましたが、すぐに決めました。

「そうだわ、泣いてたって始まらない、行きましょう!」

P18.19

「さあ出発だ!」

みんなはいっせいに千羽鶴に乗り飛び立ちました。

P20.21

街を越え、山を越え、海を越え、風になり星になり、日本につく頃にはサダコたちは流れ星になっていました。

震災で亡くなった人たちもサダコたちの楽しそうな姿を見ていつの間にかみんな一緒に空を飛んでいました。

P22.23

それはまるで天を流れる流れ星のようでした。地上にいる人たちはみんなが見とれました。
それはそれはほんとうに美しいものでした。

P24.25

流れ星になったサダコたちは福島県にある開成山公園にたどり着きました。

そして一つの大きな折り鶴になったのです。

サダコたちは今日もこの公園で元気に遊ぶ子どもたちをうれしそうに見守っています。

こんな悲劇が二度と起こらないように。

世界が幸せでありますように。

佐々木禎子さんとは

昭和20年、2歳の時に広島市に投下された原爆によって被ばく。その後、小学6年生の2月に白血病であることが判明し入院。禎子さんは「千羽鶴を折れば元気になる」と信じて鶴を折り続けたが、同じ10月に亡くなった。
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなっている。

折り鶴と「原爆の子の像」について(広島市ウェブサイトへのリンク)(外部サイトへリンク)

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