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更新日:2014年2月18日

安積開拓

激動の明治、新しい日本の象徴として行われた国家事業

一尺を開けば 一尺の仕合わせあり 一寸を墾すれば 一寸の幸あり

開拓者精神(フロンティアスピリッツ)が成し遂げた奇跡のまち

幕末そして、明治維新。
一部の武士により大きな変革を遂げた日本。
一方、戊辰戦争に敗れ、賊軍の汚名を被った東北地方。

武士の世が崩れ去り、新しい国づくりが始まった。
そして、東北開発の先駆けとして選ばれたのが、ここ郡山の「安積野(あさかの)の地」。

江戸時代郡山は宿場町として栄え、幕末には人口5,000人を擁する奥州街道有数の宿場町であった。周辺には、肥料や飼料、薪等をとるための原野が残っていた。それを開墾するため、猪苗代湖から水を引いた。

もともと、水利が悪かったこの地に、山を越えて、猪苗代湖から水を引いた、安積疏水(あさかそすい)の開さく事業。
実に、延べ85万人の人々が携わり、3年の月日を費やした大事業。

この安積疏水の開さくの決定を機に、5,000人の町の周辺に、約2,000人余の士族が全国から集い、国の威信をかけた大事業「国営安積開拓(あさかかいたく)」が動き始めた。
これは、明治政府による国営事業の第1号。

安積疏水により、水利が拓き、安積開拓により豊かな大地へと変貌しました。

そして、現在、東北地方をリードする都市までに成長した人口約34万人の中核市「郡山市」の礎、それが「安積開拓」。

安積開拓に懸けた先人たちの夢。
現在も脈々と市民に受け継がれる開拓者精神(フロンティアスピリッツ)がこのまちの原動力。

安積開拓が国営事業になるまでの軌跡。
そして、安積開拓後の奇跡的な発展の軌跡。

郡山は、チャレンジ精神にあふれた人々が集うまち。

 

 

安積開拓の父「中條政恒」

 

安積開拓の父・中條政恒

国営安積開拓(安積疏水)の鍵を握った大久保利通

国営安積開拓決定のキーマン大久保利通

ファン・ドールン 安積疏水ルートに大きな影響を与えた

安積疏水を決定づけたファン・ドールン

開拓当時の開成館(開拓事業の中心となった施設)

安積開拓当時の開拓地の様子
(奥の建物が開拓の中心施設となった開成館)

安積開拓の歴史を今に伝える「開成館」

安積開拓の歴史を今に伝える開成館

開拓の功績を今に伝える「開拓者の群像」<開成山公園内>

開拓に尽力した人々のモニュメント
「開拓者の群像」

安積開拓成功の礎を担った商人たちによる開拓結社「開成社」

開拓の礎となった商人たちによる開拓組織「開成社」

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